updated(first) | 09/04/2003 | last updated |
読書メモ 2003年8月 |
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今年の8月は後半にかけて異常な冷夏が続きましたね。夏はどこへ?と思ってしまったんですが。 僕はといえば仕事の合間にということで軽い感じの読書が続いています。 ベストセラーの「バカの壁」、さすがに売れるだけあってわかりやすいです。 素樹文生は「旅人」っていう別人種のような文章を書く人ですね。日常のしがらみから開放されたいときにはとてもいいかも。とはいえ、大人が読む感じではないですね。いい意味でも悪い意味でも若い文章。 ロバート・ラドラムは最初のうち文章にくせがありすぎて読むのに苦労しましたが、普通のミステリの3冊分ぐらいのギチギチにつまったプロットは他ではなかなか味わえないものです。少なくとも映画「ボーン・アイデンティティ」よりは面白かった。 |
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★感想 |
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玉村豊男のエッセイ。長野で野菜を作っていることでも知られている、ちょっと頭のうすいめがねの知的なおじさん。「パリ・旅の雑学ノート」ぐらいしか読んでなかったんだけど、なかなか気に入りました。 身の回りのことをちょっと理屈っぽく、その人なりの理屈で描くのがエッセイだとしたら、これはまさにそのままのエッセイ。文中に突然、古文やことわざが挿入されるが、これもモンテーニュの「エッセー(随想録)」にならってのことだそうだ。このあたり、やりすぎかとも思うけど、本人も 「読み返すと書いたのが恥ずかしくなる。なぜなら、これを書いた私が見てさえ、抹殺に値するものがたくさん目につくから」(オヴィディウス「黒海便り」より)と書いているのでこれも好き好きのレベルの話かも。 |
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★感想 |
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営業職のノウハウが数多くの実例とともに紹介されている。「対人」ということではどんな仕事にも営業の要素は入ってくるし、そのあたりの気の遣い方、仕事の進め方がなっていないと、様々な状況で齟齬をきたす、と思う。 内容は。現代の営業では顧客の意見を「聞く」ことが大事。充分なヒヤリングから、受け入れられやすい提案・提議の仕方、他部署、相手の会社を巻き込んでの総合的なやりとり、アフタ−フォローまで。より相手に喜ばれるやり方を模索していくにはあらゆる意味で「汗」をかき、手間をかけることが大事。 違う分野、業種の本を読むとまた刺激になるものですね。 |
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★感想 |
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ロバート・ラドラムの代表作。2002年にラドラム自身が監修して映画化された(「ボーン・アイデンティティ」、ダグ・リーマン監督、マット・デイモン主演)。映画では説明不足だった背景部分がより練りこまれていて、二重・三重に張り巡らされた伏線がより楽しめる。ただ独特の文体・ペースに入り込んでいくまでややしんどかった。後半は一気に読ませる。 記憶を失った男、最初「患者」としか呼ばれないその男はスイスのチューリッヒの銀行に莫大な預金口座を持っていた。ジェイソン・ボーンというその「見知らぬ名前」と隠された過去をめぐって、国際的テロリストを巻き込んでの死闘が始まる。 ジェイソン・ボーンの身につけている暗殺者としての能力、扇動者、また変装の達人であることなど、彼の過去が「ただものではない」ことはすぐに判明する。ただ彼を「雇っていた」組織、「敵対していた」組織も彼が記憶を失っていたことは知らないわけで、彼が活動を再開すると同時に彼の「知っているであろう事実」をなきものにしようと動きはじめる。また映画では触れられてなかった相手役マリーがカナダ政府の高官であるという設定もたくみに使われている。超人的な能力を持っているがある種子供のようなボーンに、しっかりと「地に足をつけた」考えをうえつけるのがマリーなのだ。 また敵役として現れる伝説の暗殺者カルロスの迫力も秀逸。 |
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★感想 |
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「バカの壁」というのは自分の中にある思い込みで判断して、その枠の中でしか物事を考えようとしない態度から生まれる。自分の側から壁を作ってしまうから、それ以外の可能性、本当の姿を知ることはできないし、それ以上進歩することもない。著者はこういった「考えない態度」が戦後50年を通して蔓延して、現代の様々な問題を引き起こしているという。「たった一つの答え」を求める態度は科学的、演繹的な考え方においては基本的なことだが、そういった姿勢がともすれば宗教的な「一元論」に傾きかねないことを警告しているのだ。 そういった話から専門の大脳生理学の知識を駆使した本論へと入っていく。といっても細胞が毎日生まれ変わっていくことから、自分が「不変」だと感じている自分の身体、意識そのものが「変わる続けるもの」であること、イチローや松井、中田らの天才的な動きを生み出す頭脳の働き、などその筆致はあくまでわかりやすい。 オウム真理教のような大人が見れば明らかにおかしい集団に多くの若者がなぜ惹かれたか。大学生の居眠りを考察するなど身近な視点からの意見も多い。見新しいところでは「個性」「自由」を追求するよりも「相手の気持ちを尊重すること」を子供の頃から叩き込んだほうがいいという見方。このあたりは賛否両論だろうけれど、かえって著者が批判している「一元論的に傾きがちな作今の『愛国的な人々』」に「論理矛盾だ」と攻撃されそうな気もしますね。 |
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★感想 |
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素樹文生(もときふみお)はアジアに魅せられバックパックで旅から旅へと放浪する、そんな日本の多くの若者の一人だ。「上海の西、デリーの東」もそうだったが、この本も短い、たたきつけるような文章と、著者の撮った各地のスナップ写真が強烈なコントラストを放つ。 特に印象に残ったエピソードをいくつか。 「カルマ落とし」。初めて海外に出たという学生に対して、旅なれた先輩たちが「これはいらない、あれもダメ」と次々と荷を軽くしていく。最終的には25kgあった荷物が3kgほどにまで減ってしまうのだが、それを皆で「よかったな」と褒めつつも、「オレは、知らないよ」と内心で舌を出す著者。 「ハロー、ジャパニ」。インドで妙にフレンドリーな客引きがかけてくる言葉。たいがい大麻や売春などのお誘いなのだが、著者が珍しくもひっかかってしまったのは「マグロ、トロ」の掛け声。相手は地元の漁師だったのだ。だがこれにもチューブ入りの単なるワサビが法外な値段だったというオチがつく。 「ヤンゴンの市場にて」。ミャンマーのヤンゴンでストリートチルドレンの少女にふとしたいたずら心から2000円(かの地の月収の半分ほどという)のワンピースをプレゼントする。少女は驚きのあまり、感謝を言葉にすることもできないが、その後友達にその話を言いふらし、著者らは子供たちに「僕にもくれ」とつきまとわれる。 表題の「クミコハウス」というのはインド人と結婚した女性が現地に開いた日本人バックパッカーがよく集う宿のこと。ここで著者と仲良くなったのがギターの弾き語りが得意なタカシ。彼は幼い頃の最初の記憶として「人の世に絶対というものが一つだけある。それは人が死ぬということだ」ということを教えてくれた教師の話をする。それから大麻をやっていた学生Nがハウスで浮いている「しゃべらない男」からもらった薬になにか混ぜられていたらしく「死ぬ、死ぬ」と錯乱するが、クミコさんに頬をはたかれ、一喝される。彼がうわごとのようにしゃべっていた「見える風景」というのがクミコハウスに置いてあったヨガの本と一言一句同じだったというのも、なんとも。 最後のエピソードは伝説の女性「ミドリさん」。日本で赴任先の校長との不倫ビデオが流出して、職を失い、裏ビデオに出るようになり、その後インドに渡る。「日本が懐かしくなるといやだから」と白人男性の客しかとらないという彼女。著者にその話をする彼女には微妙な屈託があるが、話を聞く著者にもそれがあったらしいことが言葉の端々にうかがえる。 |
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★感想 |
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素樹文生をもう1冊。 これはアジアの旅に出る前、日本をバイクで1周したときのことが書かれている。旅の途中で書いた日記をそのまま掲載している部分もあるけど、こちらは整理されていなくてちょっとわかりづらい。そういった部分も含めて生っぽい感覚でいきたかったのかもしれないけど。 バイクを中心に生活しているとそれで見えてくることもあって。 例えば危険に対する感覚。高速道路を走っているとき常に感じている「死がすぐそこにある感覚」。高速を下りたときに感じる不思議な高揚感。ライダー同士で交わされる不思議なジンクス話、怪談。 ちょっと荒削りでしたけど、ギリギリ及第点って感じかな。 「クミコハウス」はマジでオススメ。 |
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