ホームへ戻ります ブックトップへ updated(first) 01/15/2003 last updated

特集: フィリップ・K・ディック
     映画と原作を徹底比較! 「ブレードランナー」から「マイノリティ・リポート」まで

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)

(5) マイノリティ・リポート


「マイノリティ・リポート」
原題: The Minority Report
(「マイノリティ・リポート」、早川書房、ハヤカワ文庫SF所収。( amazon /
bk1 )
かつて「少数報告」というタイトルで新潮文庫の「悪夢機械」に収録されていた)


「プレコグ」というのはディックの作品ではおなじみの存在だ。未来を予知する「幻視者」だが、彼らの「予知」が決して幸福な結果をもたらさないあたりがディックらしいペシミスティックなところでもある。この作品もそんなプレコグの登場する作品。1956年作品。

「未来の犯罪を事前に知り、その犯人を事件前に逮捕してしまうことで犯罪を未然に防いでしまう社会」、それがこの作品の舞台だ。
犯罪予防局を設立した老局長、ジョン・アンダートンは次期局長と目されているエド・ウィットワーを迎え、局内の「プレコグ」の部屋を案内する。ここの3人のプレコグの吐き出す「データ」を元に「犯罪者」を事前に逮捕し、そのおかげでこの5年で起きた殺人事件はわずか1件。自信たっぷりに説明するアンダートンの顔色に突然動揺が。プレコグのもたらした新しい「未来殺人者」はアンダートン自身だった!被害者はレオポルド・カプラン。アンダートンの全く知らない相手だった。
そんなことはありえない。アンダートンはこれは自分を失脚させるための陰謀だと確信した。

妻リサに一部始終を話してみるが、とりあってもらえない。それどころか「その予言は本当なんじゃないの?」と言われる始末。家に戻ったところを突然見知らぬ男たちに拉致される。案内されたのは「被害者」カプランの館。カプランは犯罪予防局の存在自体をこころよく思っていないが、自分の安全のためアンダートンを無害化せざるを得ないと警告する。カプランの部下に護送される途中、謎の団体から救出されるアンダートン。彼らはリサが上層部に報告し、すでにウィットワーが犯罪予防局を掌握し、アンダートンを「未来殺人者」として指名手配したことを告げる。絶体絶命のアンダートン。

そんなときあることに思い当たる。プレコグ3人の予言が完全に一致することはあまりない。未来は「多数の可能性の中から一つを選択する」ことで得られるものでその可能性自体は多様だからだ。犯罪予防局ではプレコグ3人中2人の出した「報告」を元に判断している。ということはアンダートンとしては「彼が殺人をおかさない」もう一つの「少数報告」を見てそれが事実だと証明しなければならない。

スピーディな展開。悪夢のような状況に突然追い込まれる主人公、という展開はディックの作品ではある意味王道。プレコグの持っている「少数報告」のメカニズムがどうなっているか、それをどう利用していくかなどの謎解きが中心。自分の作り出した体制そのものが自分を追い込んでいく、皮肉な状況を描いている。「被害者」カプランはアンダートンを政治利用し、犯罪予防局の「違法性」を告発する集会を開こうとする。体制維持か自分の安全か。アンダートンのジレンマには「意外な解決法」が待っている。このオチは秀逸。ちなみに映画とは全く異なる。

書かれた時代を考えると、これはなかなか質の高いSF。
スピルバーグは映画化にあたりこの作品のエッセンス、元となるアイデアのみをとりあげた。
それを次に見てみよう。


Laboem02



Laboem01
「マイノリティ・リポート」(2002年、アメリカ)

監督: スティーヴン・スピルバーグ
出演: トム・クルーズ、サマンサ・モートン、コリン・ファレル、他。

スピルバーグとトム・クルーズがタッグを組んだSF超大作。この作品はよくも悪くもそう表現するのが適切だろう。原作のエッセンスを抽出し、専門家を交え徹底的にリサーチすることで作り上げた「ありうる未来世界」をILMを初めとする最新のVFX技術で表現。まさにスピルバーグ的な大作に仕上がっている。「A.I」に続くSF作品だが、今作でテーマになっているのは「暗い未来」をサスペンス・タッチで描くことであり、元になっているアイデアはフィルム・ノアールから多数拝借しているという。


2054年、ワシントンD.C。殺人事件が起こる前にそれを予知し、「未来殺人者」を事前に逮捕する組織、犯罪予防局(プリ・クライム)。ここの未来を予知する3人の「プリ・コグ」の力により、6年前からアメリカ全土での殺人事件は0となっていた。
犯罪予防局の責任者ジョン・アンダートン(トム・クルーズ)は一人息子を誘拐されて以来、『彼のような犠牲者を出してはいけない」と犯罪抑止に尽力してきた。だがその私生活は息子や妻とのホロ・フィルムに耽溺し、麻薬で正気をつなぐ、なんともさみしいものだった。
犯罪予防局の可否を問う国民投票を前に、局内に司法庁の査察が入る。査察官ウィットワー(コリン・ファレル)を案内してプリ・コグたちの眠る「聖域」に向かうジョン。そこで水槽内で眠っていたプリ・コグの一人アガサ(サマンサ・モートン)が不意にジョンにしがみつき「あれが見える?」と囁きかける。その場はなんとかごまかすもののジョンの不安は消えない。研究員に話を聞くとアガサは3人の中で最も能力の高い「プリ・コグ」だが、1度彼女だけ他の2人と異なる「少数報告」を出したことがあるという。「少数報告」は多数決で破棄され、その「結果」に基づいた逮捕が行われたという。
新しいデータが入ってくる。プリ・コグたちの出した「未来殺人者」はジョン・アンダートン。「被害者」はジョンの全く知らない男リオ・クロウ。「現場」のイメージ画像にはジョンがその男を射殺する場面がはっきり映っていた。同僚たちから追われる立場になるジョン。熟知した彼らの装備品の特徴を利用してなんとか当座は逃げ延びるが。
「未来殺人者」として全国に指名手配されたジョン。自らの無実を証明するにはアガサの持つ「少数報告」を手に入れ、それが事実だと証明しなければならない。ジョンの孤独な戦いが始まる。
(こんな状況なら)「誰でも逃げるさ」。

ご覧の通り、ジョン・アンダートンのキャラクター設定が全く変わっている。トム・クルーズが演じるということで30代のアクションのできる人間になっている。彼の息子や妻への「愛」がテーマの一つとなっている。変わって犯罪予防局の創始者、局長としてバージェス(マックス・フォン・シドー)というキャラクターが設定されている。またプリ・コグは原作から更に踏み込んだ表現がされており、「麻薬常習者の親から生まれ、悪夢を見るように改造された」非人道的な姿として現される。サマンサ・モートン演じるアガサはその「人工的な」状態から徐々に人間としての感情を取り戻していく。またプリ・コグを生んだ研究所も出てくるがそこは植物園をモティーフにしたような幻想的な世界。プリ・コグの眠る「聖域」も非常に印象的。
美術・時代考証の点でも「ありうる未来」を丁寧に構築しており、目の網膜から人物を認証するセキュリティ・システム、動画を伴った紙状の新聞、コンピュータが透明になり(きれい!)、音声、また指の動きを「感知」することで全ての操作が出来るインターフェイスなど現在の技術からも予想できる要素がテンコモリで楽しめる。それ以外にも重力場を発生させることで縦横の概念から開放された車と高速道路(トム・クルーズが車の「側面」を乗り移るという荒業を見せる)、「ブレードランナー」のような広告で覆いつくされた町並み、「未来殺人者」の拘置されるチューブ状のカプセルなどとギミック面でも遊びを見せる。またSFの意匠を借りながらもスピルバーグらしいサービス精神は健在で、細かい「笑い」の部分は作り込んでいる。
特に後半は謎解きの部分と共に、ジョンがいろいろなところに侵入するためのトリックがもうギャグ満載でおかしい。これは見ておいて欲しい。工場のベルトコンベア上でウィットワーとおいかけっこになるシーンなどはもう「スピルバーグ映画」そのものだと思う。

原作とはまったく違う娯楽性のある作品。
ディックの作品ってこういう風にした方が(映画としては)うまくいくのかなぁ、と思った。


ホームへ戻ります ブックトップへ