ホームへ戻ります シネマトップへ updated(first) 03/04/2003 last updated


特集: 生涯五指には入るこの映画!

Intoroduction

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(17) 街 さんのレビュー
『シンドラーのリスト』 (1993/アメリカ)
監督  : スティーヴン・スピルバーグ
出演  : リーアムニーソン・ベンキングスレー・レイフファインズ他


第二次大戦中のナチスドイツは、ドイツ国内や各占領地でユダヤ人に対する迫害政策
を推し進める。
そんな中、ナチス党員で事業家のシンドラーは安価な労働力でもあるユダヤ人を
雇って工場を経営出来れば儲けられるのではと考えたのだった・・という映画だ。

この映画には感動させられた。
それは、「感動」という言葉が陳腐に感じられるほど胸を打たれた。一瞬、平々凡々
と日常を過ごしている自分が恥ずかしくなるくらいのものだった。
ワタクシの予備知識としては、シンドラーとはユダヤ人を救った英雄・・この程度。
ヒューマニズムたっぷりの英雄伝記を映画化したもので、しかもナチス・ユダヤ人・
ホロコースト・・誰も軽々しく茶々を入れられないような設定だもの。「そりゃ感動
するんでしょうね、普通の人は」と思っていたのだ。ワタクシは、とにかく「世界が
感動の渦に!」とか「泣ける映画ナンバーワン!」だとか大嫌いなのだ。みんな、感
情の沸点が低すぎる。まだ観ていないが「戦場のピアニスト」も、観てみたいけどお
すぎの「これは奇跡!」とかいうバカなコメントが鼻について二の足を踏んでいる。

ところがところがこの「シンドラーのリスト」・・観れば観るほど映画に引き込ま
れ、ラストのシンドラーが泣き崩れるあたりには危うく泣きそうになってしまったの
だ。よく観ていくと、シンドラーは最初からユダヤ人を救うつもりで雇ったわけでは
なかった。
当初のシンドラーにはそんな力も財力も無く、『実業家としての想い(いわゆる商魂)
からユダヤ人を雇っていた』に過ぎなかった。それどころか、救世主と思い込むユダ
ヤ人に対しては何と疎ましさをも感じていた。やるじゃないかシンドラー。それが人
間の本音だ。要は会社の儲けと女好き。それがシンドラーであったのだ。
ところが、収容所にレイフファインズ演じる所長が赴任してきたあたりから、シンド
ラーはナチスのユダヤ人迫害政策に疑問を持ち始め、せめて自分が雇っているユダヤ
人だけでも救えないかと奔走し始めるのだ。この奔走ぶりが凄まじい。会社の財産は
おろか資材をも投げ打ち、いわゆる命をお金で買うわけだ。会社設立当初からシンド
ラーを補助してきた経理のユダヤ人。この人へ次々と名前を挙げていく様は、「アマ
デウス」でのモーツァルトの晩年、病床を訪れたサリエリに自らが口走る音符を書き
取らせたのに似ていた。そしてどちらも迫力があった。
ワタクシの周囲に「こんなの偽善だ」という友人もいた。「誰だって助けようと思う
よ」とも言っていた。
確かに人間として当たり前の良心なのだが、普通じゃない状況下で危険を顧みず
(ナチ党員であったとしても、ナチスドイツにとってこれは一種のクーデターみたい
なものだろう)、また大成功した自身の資財の全てを投じて通すほどの良心をワタクシ
達は備えているだろうかと考えさせられる。
戦争を語るとき、またはそれに付随したエピソードを語るとき、現在の価値観では
はかってはいけないのだ。

レイフファインズの、狂気に満ちた所長役にも見応えある。「狂気に満ちた」と
言っても、当時のナチス上官はきっとこういうものだったのだろう。シンドラーに「許す
事が王様としての器量だ」みたいなことを言われて目覚めたような錯覚に陥るが、そ
れを抑えるのに苦労している様が伺える。そして、またすぐに我慢できなくなって殺
してしまう。人を人と思わないナチス。映画では少し描写を抑えているものの、
ユダヤ人は迫害するに値する民族だというナチスの偏向した思い込みが徹底して伝わ
ってくる。
ラストシーンでの、まだまだやり足りなかったと感じ泣き崩れるシンドラーに胸打た
れるワタクシであった。
強いて言えば・・そう、ホントに強いて言えば、カラー画像のところはいらなかった
と思う。ラストはシンドラーが去ったところで終わりで良かったのではないか。
シンドラーに関わった人たちへ仁義を通したということか。
スピルバーグが嫌い戦争映画が嫌いという方も、部屋を暗くしトイレには事前に
行って、映画の途中に会話を交わす事無く初めから終わりまでジックリと観れば、胸
を突き上げるものがきっとあるはずだ。
感動するものが観たいという動機ではなく、「人間の良心と偏向主義の狂気」に
関する教材として観ることの出来る映画だと思う。


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