「ブレードランナー」(1982年、アメリカ)
監督:リドリー・スコット
出演:ハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、 ショーン・ヤング
「ブレードランナー」はビデオで入手可能なものが3つのヴァージョンがあって「通常版」「完全版」「ディレクターズ・カット(最終版)」とあるが、今回は「最終版」(1992年公開)を取り上げようと思う。
※今回後半ネタばれしてますので未見の方はご注意下さい!
この映画は日本人にとっては2019年のロサンゼルスの雑踏風景がやはり一番印象に残るものだと思う。「強力ワカモト」やコカ・コーラなどの動画広告がギラギラする街頭にはウドン屋さんが並び、雨の中道行く人たちの差しているのは真っ黒なこうもり傘。中国語と日本語、英語が乱れ飛ぶ雑踏。未来社会を描いているというよりも80年代からの新宿あたりの町並みそのものを連想させるこのシーンで、この映画は我々には忘れられないものになった。
基本設定は一応原作を踏襲している。冒頭はデイヴがアンドロイド(今作では「レプリカント」)の一人リオンに感情移入テストをしていて、返り討ちにあい射殺されてしまうところから。そこでロサンゼルスの街頭でウドンをすするデッカード(ハリソン・フォード)が警察に呼び出しを受け、彼の任務、ここでは残り4人のレプリカントの「処理」を引き継ぐことになる。ちなみにデッカードの立場は引退したレプリカント特装班の一員であり、彼の妻子については自室に写真があるだけで劇中では触れられない。レイチェル(今作ではショーン・ヤング)の会社はタイレル社という名に変わっているが、この会社がレプリカントの研究・開発を進め、「ネクサス 6 型」という外見上は全く人間と区別がつかないタイプを作り出したことには変わりがない。レイチェルの感情移入テストもあるが、映画でのレイチェルは改良によって「感情に芽生えつつある」レプリカントであり、原作よりもその存在感はウェットだ。他のレプリカントにしても同様。
原作からのカット点としては、まずマーサー教関係の設定が一切ないこと。マーサーというのは多分にキリストの受難を意識している部分があり、これによって原作では基本的に「殺生」というものはアンドロイドを「処分」する以外、たとえどんな小さな動物に対しても「あってはいけない」ことだった。この設定がなくなったことでSFアクションとしての展開が可能になり、映画としてはより幅広い層に受け入れられるものになったのだと思う。後半はレプリカントとの「死闘」になり、このあたりあっさりと「処理」を行ってしまう原作とは一線を画している。
それからデッカードが羊を飼うという設定もなくなっている。生命と非生命との対比というテーマは、レプリカントに「生まれてきた苦悩、生き延びたいという欲求」を語らせることで表現している。レイチェルにしてもレプリカントのリーダー格ロイ・バティー(ルドガー・ハウアー)にしても。ちなみにレプリカントらの名前も含めて原作の登場人物名で共通のものもあるが、キャラクター設定はほとんど別物といっていい。例えばJFセバスチャン(原作では「ピンボケ」のイジドア)は知能検査には落ちたもののタイレル社の研究員でもある。彼の部屋はあらゆる「オモチャ」が散乱していてまさに「オタク」そのものという描写。その部屋に最初に転がり込むレプリカント、プリスは原作ではレイチェルと同じ機種、姿だが今作では髪の毛が逆立ったパンキッシュなおねーちゃんという設定だ。ロイ・バティーにしても原作では隠れて「狩り」をやりすごすことも考える思慮深い男であるのに対して、今作ではデッカードを本気で「殺しにかかってくる」。ルドガー・ハウアーの演技は狂気むき出しでなかなか怖い。
後半はレプリカント側のシーンと彼らとの死闘、デッカードとレイチェルの恋がどうなるかの二つを軸に進む。
レイチェルは感情移入テストのあと、自分が何者であるのかという不安にかられ、ついに真実を知ってしまい「逃亡レプリカント」となり、デッカードの「リスト」に載ってしまう。その後デッカードのアパートを訪ね、不安のまなざしで「わたしを殺すの?」とうったえかける。デッカードは「殺しはしないさ」と誓って彼女を抱き寄せる。このシーンはヴァンゲリスの有名な「ブレードランナー 愛のテーマ」。前後して彼女は「同胞」リオンをデッカードの命を救うために殺してしまう。
一方レプリカント側はJFセバスチャンのつてを使ってタイレル社社長タイレル氏に面会する。セバスチャンとタイレル氏がチェス友達でロイ・バティーのアドバイスでセバスチャンが勝負に勝ったことで面会が実現するという趣向も面白い。ロイ・バティーはタイレル氏に「レプリカントの寿命は4年しかない。これを変えることはできないのか?」と詰め寄るが、その答えはノー。生命コーディングは非常に繊細で修正すれば個体が破壊されるだけだという。自分の存在の不確かさに耐えられなくなってついにはロイ・バティーは「生みの親」タイレル氏をJFセバスチャン共々殺してしまう。
その現場の捜査からセバスチャンの部屋へとたどりつくデッカード。プリスとの死闘に勝ち、残るはロイ・バティーのみ。男と男の1対1の対決が始まる。このシーンはデッカードの「指を折る」描写がすごく痛そうだったり、ルドガー・ハウアーが頭から壁をぶち破ってどなりちらすなどハウアーの破天荒な活躍が楽しめる。見せ場なんだけどちょっと笑えます。
ロイ・バティーを倒したデッカードはレイチェルとの「限られた時間」を大切にしようと新たな決意を固めるのだった。
80年代のポップ・カルチャーに大きな影響を与え、ディックの人気を押し上げた映画だが久しぶりに観てもその面白さは変わらず。今まで作られたディックの映画ではやはり「最も丁寧に作られた作品」なのだと思う。シド・ミード、デイヴィッド・スナイダーらの美術も今見ても新鮮だし。ヴァンゲリスの重厚すぎるまでに重厚なシンセ・サウンドはやはり「人工的な」この作品には合っているんだな、と思う。
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