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01/15/2003
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特集: フィリップ・K・ディック
映画と原作を徹底比較! 「ブレードランナー」から「マイノリティ・リポート」まで
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(4) クローン
「にせもの」
原題:Impostor
(「ディック傑作集@ パーキー・パットの日々」、早川書房、ハヤカワ文庫SF、所収。(
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)かつて「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック」というタイトルでサンリオ文庫から出ていたものを改訳。)
ある未来。アルファ・ケンタウリからの攻撃に防衛ラインを次々に破られ、地球は危機に瀕していた。防衛(プロテク)バブルという被膜を地球上の主要都市に覆い被せることでどうにか小康を保っていた。
スペンス・オルハムはそんな地球の防衛プロジェクトに参加している研究者。彼の小市民的生活はある日突然覆される。通勤の車上で同僚から「君はオルハムではない。オルハムを殺してすりかわった外宇宙からのスパイだ」と決め付けられ、拘留されてしまう。なんでも防衛バブルを突破するために作られた新兵器ロボットは殺した相手の人格、記憶を身につけ、本人になりかわり、ある「合言葉」を聞いた瞬間に四方4kmを吹き飛ばす「U爆弾」が体内に埋め込まれているのだという。そのためオルハムを逮捕し、体内からU爆弾を除去するためオルハムをバラバラにしなければならないという。
オルハムは必死の弁明をするが全く相手にされない。戦時の異常心理としてやむを得ないとは思うが、
オルハムとしてもむざむざと殺されるわけにはいかない。
なんとか逃げなくては。
これもディックらしい「実存への不安」「人間と非人間の境界線」というテーマの作品。
一種異様な緊張感が全編を支配しているが、それは「一見しておかしいと思わせるような
異常な理屈」を登場人物たちが本気で信じてしまうことからくる、違和感、不安感といったものだろう。
なにしろ冒頭の同僚らのオルハムへの説明も相当におかしいものだが、自分の今までの人生を
あっさり疑ってその説明の枠の範囲内で考え始めるオルソンの態度など(科学者だいうことを割り引いて考えても)相当におかしい。まぁディック自身が「とりつかれていた」テーマだけに、このあたりに言及すると身もフタもないのだが、これで読者層がかなり限定されてしまうだろうことは想像がつく。好きな人には好きな部分なんだけど。
後半は妻にもロボットだと疑われ、四面楚歌の状況となる。オルハムは墜落したロケットの中に本物の「ロボット」がいてそれがもう壊れてしまったことを証明することで「ロボットは自分になりかわれなかった。だから自分はロボットではない」ことを証明しようとする。
さてどうなるのか。
ラストシーンのオチはきれいに決まってこの時代のショート・ストーリーとしてはまぁまぁの水準に達している、とは思う。
映画版「クローン」と比べるとあっさりとしているが、昔のSFらしい素朴な感じがして、僕は好きだ。
「クローン」(2001年、アメリカ)
監督:ゲイリー・フレダー
出演:ゲイリー・シニーズ、マデリーン・ストウ、ヴィンセント・ドノフリオ 、他。
ディックの短篇「にせもの」を映画化。監督は「コレクター」のゲイリー・フレダー。
基本的に原作を踏襲したつくりになっている。主人公の名はスペンサーと変わっているが彼はやさしげな好男子ゲイリー・シニーズが演じている。最初は貞淑な、後半スペンサーを追い詰める妻マヤにマデリーン・ストウ。このあたりの展開は「トータル・リコール」みたいだと思う。
ストーリーは「とにかく逃げなきゃいけない」スペンサーが同僚の研究員から逃げ続けるアクション・シーンがほとんどを占める。ちょっと一本調子で見ているのがつらい。スペンサーが最初温和だったのが、実験用ヘッドセット(これが異様!)をつけられ、次第に苦痛から強迫観念じみた表情に変わっていくあたりがまぁ見ものか。
それにしても後味はあまりよくない映画。
ディックの原作を忠実に表現するとこういう風にもなり得る、という例。