いい人になる方法

イギリスのベストセラー作家ニック・ホーンビィ(「ハイ・フィデリティ」「僕のプレミア・ライフ」「アバウト・ア・ボーイ」)の4冊目の小説。

(あらすじ)
ロンドン、ホロウェイで精神科医をしているケイティ。
夫のデイヴィッドは毒舌が売りのコラムニストで私生活でも口うるさい。ケイティはそんな彼との生活に疲れながらも二児の母として、職業人として毎日を忙しく過ごしていた。

ところがある日、ひょんなことから浮気をしてしまった頃から、夫の様子がおかしくなる。

DJグッドニュースという気功師(?)の治療(「てかざし」で身体の中の「悪いもの」に気付かせるというかなり神秘的でいかがわしいもの)を受け、「いろんなものが見えるようになった」という彼は自分とグッドニュースの信じる「いいこと」を実行しようとし、ケイティらの生活を不安に陥れる。

家を失ったグッドニュースと生活し、ホームレスの少年少女を各家庭に招き入れるプログラムを紹介、実践し始める。
子供たちに与えたコンピュータも「2つはいらないだろ」と孤児院に寄贈し、「人の悪口は書けなくなった」とコラムニストは廃業し、日がなグッドニュースと「第三世界の現状と我々のなすべきこと」を議論し続ける。
妻の患者のうちもっとも「うまくいってない人」をディナーに招待し、しまいには一緒に暮らしたらと提案する。

その目は献身的で、自分の信じるところに忠実な人。
逆に言うとつきあいづらい狂信的な人のものだった。

デイヴィッドの「よくない人ぶり」に離婚も考えたケイティだったが、この「度を越した善人ぶり」には困惑を通り越して、ヘドが出そうな気分だ。
次々と生活基盤を崩されたケイティは「いい人」へのリベンジを開始する。

(感想)
「いい人」ってなんだろう。
人によって基準も違うし、どこまで実践するかで変わってくるものだろうけれど。
けれども自分の生活になにを取り入れ、なにを拒絶するか、って部分で
「歯止め」がなくなってしまうのはこわいことだ。
ケイティは「いい人」になろうと努力していたけれど、それはデイヴィッドのような「全てを投げ打つ」ものではない。
「職業」として自分の能力を決まった時間提供し、それに対する「ペイ」もちゃんと得ている。

「自分の今もっているもの」を自然として受け止め、
他人への無条件の信頼や、自己犠牲的な「奉仕」ってことじゃなく(こういうのは往々にして自己愛の裏返しに過ぎないことが多い)、
生活として可能な範囲でやっていく。

中産階級的な視点(ホームレスの人には同情はするけれど、それに「ドップリつかる」ってことじゃダメだということ)で構成されてるけど、「それを崩されたとき」の
虚無感、喪失感はけっこう深刻。

「偽善」と「いいこと」の境界線なんてことも考えさせてくれた。
ホーンビィらしくユーモアに包まれているけど、けっこうコワイといえばコワイ小説。

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(読了日 2004/05/20 )







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